日本国内閣に送る書簡
 日本は中国侵略戦争期に、その戦争を維持し、国内の深刻な労働力不足を補うため、東条内閣の閣議、次官会議において、「華人労務者内地移入に関する件」(1942年11月27日)、「華人労務者内地移入促進に関する件」(1944年2月28日)および施行細則をそれぞれ決定した。これらに基づき、日本軍国主義は、中国人捕虜・労工約4万人を日本に強制連行し、そのうち986人を鹿島組花岡出張所に投入したのである。
 花岡の中国人労工は、日本政府および鹿島組の非人間的な処遇、残酷な苦役・虐待に耐えきれず、人間と民族の尊厳を護り、生存の権利を闘いとるため、やむなく世界を震撼させた花岡暴動を起こした。しかし、日本当局の残酷な鎮圧に遭い、前後合わせて418人は無残な死に至った。1000に近い家庭では、妻子が離散し、家破れ人消える、となった。
 公道を回復するために、花岡受難者聯誼会は、鹿島建設との間の長い困難な交渉と裁判を進め、2000年11月29日、「共同発表」の基礎の上に、和解に至った。最終的な結果は必ずしも理想的なものではなかったが、しかし、それは日本企業が中国労工を奴役したという歴史的事実がはじめて法的な認知を受けたことを意味し、さらに56年に及ぶ血と涙の深冤を雪ぐことができたのである。それは、また戦後補償問題、なかでも捕虜・労工問題の解決に新しい道と方法を生み出したといえよう。
 「花岡事件」は、日本による中国労工の強制連行事件の中で代表的なものである。それは、日本政府、軍隊、企業の三位一体の罪行を証明するものだった。それは、東条英機内閣の決定により進められたものであり、当時の日本軍国主義政府が中国人民に対して犯した罪行であり、日本政府は逃れられない重要な責任を負っている。
 ここに、私たちは日本の内閣に次のことを要求する。
一、 日本政府は、日本軍国主義の中国人捕虜・労工の強制連行・奴役の歴史を直視すべきであり、また、その政治的、法的、道義的責任を負うべきであり、中国人民に対する公式謝罪を行うべきである。
二、 日本政府は、中国人捕虜・労工の強制連行・強制労働に関する歴史資料をすみやかに公開すべきである。過去極東国際軍事裁判を含めて、日本政府が実施した中国人強制連行問題は、2例を除いて戦争犯罪として問われることはなかった。政策決定した東条英機(当時首相)や岸信介(当時商工大臣)らは何らその罪を問われることがなく、その上戦後中国人強制連行に関するあらゆる資料が政府の手で焼却された。日本政府はこれらの結果に対応する内実ある自らの責任の所在を明らかにすべきである。
三、 日本政府は、強制連行・強制労働期間における、捕虜・労工が肉体的、精神的に蒙った受傷や苦痛、ならびにそれがもたらした「家破れ、人消える」という損害に対して、しかるべき経済的賠償を行うべきである。
四、 日本政府は、人道主義の精神に基づき、死難労工の遺骨を捜し出し、中国に送還すること。
五、 日本政府は、歴史を重視し、侵略戦争に対して、真剣に反省するとともに、中国殉難労工記念碑を建立すべきである。歴史を以って鑑とし、真実の歴史によって、人民および後世を教育し、未来に向かって、子々孫々の友好を築くべきである。

2002年7月2日
                          花岡受難者聯誼会